朝、休日は最近、寝溜めなのか睡眠負債を返すためなのか、昼前まで寝ていることが多い。
ということで昼前まで寝ていた。
起きてご飯を食べて風呂に入った。最近はお湯をはるのが我が家では流行りらしい。毎回追い焚きをしてるのでお金が飛んでいきそう。
バナナが熟してきたそうだ。
昼過ぎ買い物にでかけることに。
出掛ける前にトイレに籠ってぼんやり考え事をしていたらふいに父のことを思い出し、ほんの少し泣いた。
いなくなった人は戻らない。その点の前と後とでは少なからずわたしは変わってしまったのだと思う。
人は必ず死ぬ。だからこのことを経験している人はごまんといるはずなのにみんな面に出さずすごいなと思う。さすがだ、人は強い。
少なからず甘えてよいのなら、一瞬だったのだ。死の準備を見守ることなく、一瞬で逝ってしまった。そこはごまんといる人たちのなかでも数はもう少し限られるかもしれない。
大勢の中の尺度でしか自分を測れない卑しさよ。
でもきっと自分よりも近くにいた家族の方が辛いに決まっているのだから、わたしはなんでもフォローできるようにしておかないといけない。飄々となんでもないかのように、それくらいの人間がいた方が物事はうまく進む気がするし、わたしの憧れでもあるのかもしれない。
父が死んだ点からわたしはなるべくやりたいことはしようと思って生きている気がする。食べたいものをなるべく食べ、ちょっと背伸びしてるかなと思う服でも良いと思ったら着てみて、仕事はやりたいだけやっている。会いたい人にはなるべく会いに行きたいと思う。
そんなことをぼんやり考えていたらほんの、ほんのすこしだけ泣いていた。意外とトイレは考え事をするのによかったり、よくなかったりする。
買い物に行き帰ってくる。こんなご時世だが人はけっこう出歩いているものだな。
疲れたので少し休んでからがっと諸連絡を済ませる。仕事先の素敵な専門家が、連絡に対して、休みに仕事してるんじゃないよー癒されること探すんだよーと返事をくれた。素直に嬉しく思い、ありがたいなと思った。
先に夕食作りが始まっていたので申し訳ないと謝ると、もう始まってるの分かってたでしょ?と詰られる。だから謝ったのだが良いこともあれば悪いこともある。あまりここに書くことではないな。
生活でも仕事でも、目的と手段があって、手段が目的になってしまっていることが多い気がする。率直にしんどいなと思うときはあって、でもそれを確認する元気はわたしにはない。
哀しいきもちでもお酒はおいしく、料理に罪はないので飲み、食べた。自分は駄目な人間だなとも思った。
少し寝てしまい目が覚めた頃にはもう遅かった。そしてもう少し寝てしまい、目が覚めて今だ。
久しぶりに書いたからか書きすぎた。そしてすごい読みにくい文章になってしまい反省し申し訳なく思っている。あとちょっと泣いてしまった。昔からわたしは無い物ねだりをする残念な人間だな。
せめてこの文章を読んでくださった方々の今日が素敵に、幸せなものになることを祈って。